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蝙蝠山に吹く風は、

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マーティン・スコセッシ監督 映画「沈黙ーサイレンスー」 感想 

映画

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マーティン・スコセッシ監督の「沈黙ーサイレンスー」を鑑賞した。遠藤周作の小説「沈黙」を原作とする映画である。過去には1971年に篠田正浩監督により「沈黙SILENCE」として映画化されている。両方とも未鑑賞なのでこの映画のみについて触れたい。

宗教を扱った映画なので非常に扱いが難しいと感じた。私は、キリスト教については無知に等しくこの映画の中にチラホラ出てくる仏教についても無知に近いのではなかろうかと思い知った。神社めぐりが趣味なので神道ならば少しはわかるのだけども……大ヒットする映画というより何年も細々と語り継がれるようなタイプの映画だと感じた。

ポルトガル人が主人公なのに関わらず英語を話しているのはご愛嬌だろう。しかし日本人が言うパライソと主人公らの信じるパラダイスの認識の違いを表す場面もあったのでわざと英語にしているのかもしれない。キリスト教に対する厳しい弾圧が続くことによって日本独自の隠れキリスト教というべきものに主人公が触れる場面のためにも必要だったのだろう。もしあそこまで日本人が英語が達者だったならば、黒船来航時には英語→オランダ語→日本語の翻訳で話したと聞くがそんなことをしなくても普通に会話できただろうなと話に関係ないながらも思ってしまった。

この映画は、様々な虫の音色や波の音など日本の自然の音を多く使っている映画だと感じた。厳しい弾圧によって神父が棄教したという知らせを聞いているのにも関わらず、危険を冒して日本にやってきた主人公にとって異国の音は不安にさいなまれる音だったに違いない。そのためか日本の舞台にした映画なのに関わらずどこか遠い異国の話のようであった。それに日本人役者なのに関わらず日本語を話している場面でも何か日本語ではない言葉のように聞こえてしまったのは何故なのだろうか?

PG12作品であることから目を覆いたくような壮絶な目を覆いたくなるような拷問シーンが続くのではなかろうかとも心配していたが、予想してたものよりそこまできつい拷問シーンはなかったので、人によるけれどもそのあたりは安心して見ても良いと思う。主人公本人に対する拷問をするよりも精神的に追い詰めることによって棄教に追い込むことが目的であったのが理由であろう。

信徒に行われる弾圧に沈黙を続ける神を最後まで信じ続けたという姿勢は凄いとしか言いようがない。信仰というものは形の上だけで棄てたと言うだけでは捨てられないものであるということを強く感じた。舞台が島原の乱後ということもあり弾圧が続くほどにその信仰はやや歪み逆に強くなっていったのではなかろうか。信仰が弾圧を耐える方向に向かっていき主人公たちがそれは違うとやや怒り気味で言ってしまうほどの信仰に変わっていったのだろう。

「なぜ弱きわれらが苦しむのか」それはいつの時代もどこかで叫び続けられる言葉であり目を背けてはならないことだと思う。この映画の役人たちもやりたくてキリスト信徒を弾圧したくてしているのではなく、それが仕事だから役割だからしょうがなくやっているというのが事実なのだろう。けれども他にも方法があったのではないだろうかと思わざる得ない。島原の乱があったことによってそういう流れに行くのは当然だとは思うけれども……その島原の乱に至るまでにも色々な経緯があったのだろう。この世はまったくどうしょうもない世の中だ。そんな世の中に神は居るのだろうか?